学校長のことば
本校は、キリスト教主義の全寮制の学校です。すべての教育活動において、イエス・キリストが私たちの罪のために自ら十字架に架かってくださった生き方に倣って、「隣人愛」を意識したカリキュラムを設置しています。人の喜びを喜び、痛みを共に痛み、互いに励まし合いながら切磋琢磨する経験を通して、子どもたちは大きく成長します。本校における最大の特徴である「全寮制教育」では、自分と異なる他者との出会いを通して自らの価値観が広がり、基本的生活習慣を身に付けることで自立心が培われていきます。また、「労作教育」や「農業体験」を通して、汗を流して働くことを通して、誰かの役に立つことに喜びを感じることができる生徒を育てることを目指しています。本校で学ぶ生徒たちは、神様から与えられた大切な存在であり、一人ひとりに与えられた能力を、人の喜びを作り出すために用いることができるように育てていくことが、私ども教職員に与えられた使命であると考えています。
建学の精神
日本の三育教育は1898年、セブンスデー・アドベンチスト教団の最初の宣教師W.Cグレンジャーが東京芝に開いた「芝和英聖書学校」に端を発します。三育教育では、聖書に示されている身体と知性と霊性の調和のとれた人間像の回復を目指しています。
そして、神をすべての価値の源として探求し、自己と他者の尊厳を重んじ、より良い社会の形成を目指し、それに貢献できる人物を育成することを、私たちは目指しています。
「世界で最も欠乏しているものは人物である。それは売買されない人、魂の奥底から真実で、正直な人、罪を罪と呼ぶのに恐れない人、磁石の針が南北を指示して変わらないように、良心が義務に忠実な人、天が落ちかかろうとも、正しいことのために立つ人、そういう人である。」
エレン・G・ホワイト著『教育』より
Founding
創 立
1969年 名護に移転・開校当時のキャンパス風景
- 戦後まもない1950年(昭和25年)、アメリカから派遣された宣教師E・Eジェンソン牧師家族は、ただちに情熱的に宣教を開始しました。そして翌年には150名収容の首里教会を完成したのです。宣教・教育・奉仕をモットーとする教会は、次に学校教育に向けて準備を進めました。
- 当時、沖縄には私立学校はなく、琉球政府から学校設立の認可を得ることは容易ではありませんでした。しかし、神の導きによって、1953年(昭和28年)、ついに沖縄で私立第1号として佐敷小学校(現・沖縄三育小学校)が開校しました。教師1名、生徒は9名からのスタートでした。
1969年 名護に移転・開校当時のキャンパス風景
- 最初の教師は、公立中学校の教師だった大城トヨ子です。戦後、教育に空しさを覚えていたとき、たまたま沖縄を訪問した三育学院院長R・S・モーアから「クリスチャン教育について学んでみませんか」と勧められたのがきっかけです。
- 大城は、人間教育という高い教育目標に心を打たれ、中学校を退職し、二人の子供を沖縄に残したまま、単身で千葉の三育学院に向かいました。まだ学校認可が下りていないときのことです。そして、卒業と時を同じくして、学校設立の認可がおりたことは、まさに「神の山に備えあり」で、神のご臨在を強く印象づけるものとなりました。
1969年 名護に移転・開校当時の教職員と生徒
- 小学校設立の翌年、1954年(昭和29年)には首里教会内に沖縄ミッション中学校(現・沖縄三育中学校)を教師2名、生徒21名で開校しました。
今まで、教師をはじめ、沖縄全島の熱き祈りと支援によって「神様の建てられた学校」として60年以上教育活動を続けることができました。 - 今後も、学校は教会・保護者・同窓生とがっちりスクラムを組んで、主イエスに対する信仰を高く掲げ、「キリストに出会う幸せ」を体現することが出来るように邁進したいと願っています。
1983年 新校舎・チャペル完成
History
沿 革
1954年5月 | 那覇市首里赤平に沖縄ミッション中学校として開校 |
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1957年4月 | 佐敷村下代原へ移転 三育小学校と併設 |
1969年6月 | 現在の名護市旭川に移転 全寮制実施 |
2014年5月 | 創立60周年を迎える |
2018年4月 | 法人沖縄三育学院から三育学院へ改組 |
2019年6月 | 名護市に移転して50年の節目を迎える |
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